プロフィール
profile
ごあいさつ
フリーアナウンサーとして。
南日本放送のアナウンサーとしてこの地に
赴いたのが1980年、母になって30年を超えました。
いまだにマイクを握らせていただけることに感謝しつつ、
さらなる研鑽を目指して、日々精進しなくては!
どうぞ、これからもよろしくお願い申し上げます。
宮原恵津子について

ミヤハラ エツコ
宮原 恵津子
フリーアナウンサー
1958年生まれ。熊本県出身、鹿児島県在住。
ラジオのパーソナリティ、司会、講演会、出張アナウンス教室など、
ことばを「伝える」「届ける」活動を続けている。
2001年より「たんぽぽ倶楽部」パーソナリティ(MBC南日本放送)。
その他、FM鹿児島、RKK熊本放送でもレギュラー番組を担当した経験がある。
テレビ・ラジオCMのナレーション、朗読、千人規模のイベントでの司会から
アナウンス教室の講師まで幅広く経験している。
ボイスサンプルを聞く
あゆみ
1958年誕生
夢に目覚めた小学生
教科書の朗読を先生にほめてもらったことがきっかけとなりアナウンサーを目指します。
転勤族であったため転校を繰り返し、友達作りにはとても苦労しました。
おしゃべりで、近所の大人とよく井戸端会議に参加していた子どもでした。

洋画や音楽が大好きな
中高生
熊本県に落ち着き、たくさんの友人に恵まれました。
映画やドラマ、音楽を通じて英語の楽しさに目覚め、いつかは外国に行ってみたいと夢見ていました。
父に付き合わされて洋画をよく観たためか、初めて憧れたスターはグレゴリー・ペックです。

忙しかった大学生
アナウンススクールとレストランのアルバイトに明け暮れました。 学業・スクール・アルバイトの両立がハードであったため、痩せました。 高校生までは立派な体格をしていたため、久々に帰省すると、あまりの体型の変化に父に気付いてもらえず、 玄関に立つわたしに「どちらさまですかね?」と言ったほどです。

仕事に邁進した
アナウンサー時代
1980年、MBC南日本放送局へ入局。
「ど~んと鹿児島」の初代司会をつとめるなどしました。
仕事は大変でしたが、全国各地を飛び回り、貴重な経験をさせていただき、楽しい日々でした。結婚を機に退職しました。

子どもと向き合った
主婦時代
一男一女に恵まれ幸せを感じる日々でした。
一方で、フリーアナウンサーとしての活動も徐々にはじめますが、ほどなくして
胆嚢がんになります。62歳で亡くなった父と同じ病気でした。
その他、卵巣嚢胞、網膜剥離の手術も経験。
今、生かされていることの意味を考えて、というドクターのお話しは生涯忘れません。

これからが青春
フリーアナウンサー時代
子供が成人してからは、旅行や楽器演奏、映画など、やりたくてもできなかったことを実現中です。
また、病気のことなど、自分の体験が少しでもお役に立てばと講演活動も始めました。
孫には断固として「えったん」と呼んでもらっています。

趣味
ミュージカル鑑賞、映画鑑賞、ドライブ、手抜き料理
座右の銘
人生渡りに船、想像力は世界を包み込む
実績
番組
programs
ラジオ
- MBC南日本放送
- 居酒屋悦丸
- 城山スズメ
- 放送中郷土菓子伝承〜 ふるさとの菓子と歴史
- 放送中庄太朗の村のことわざ
- 放送中えっちゃんのたんぽぽ倶楽部
- エフエム鹿児島
- ランチ・オン・タイム
- RKK熊本放送
- サンデーマルシェ
テレビ
- MBC南日本放送
- ど~んと鹿児島
- フルーツタイム
- ぴかぴか情報市場
ほか、テレビ・ラジオCM、
ナレーション等出演多数。
表彰
awards
- MBCアナウンサー時代
- アノンシストグランダプレミオ
- 民放祭ラジオキャンペーン部門優秀賞
- フリーアナウンサー以降
- 平成22、24年MBC南日本放送社長賞
- 社長賞、功労賞
ほか、受賞多数
委員会
committee
- 鹿児島県女性のための健康サポート推進協議会
- 鹿児島県次世代育成支援対策協議会専門部会
- 非婚化・晩婚化対策部会委員歴任
- 鹿児島県少子化対策懇話会
全て任期満了
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