人生コラム
columuns
私がアナウンサーに
なったわけ
木に登った豚を見たことはないが、おだてられれば木登りぐらいするんじゃないかと思う。DNAが同じいのししは物まね上手で芸もする。
伊豆にはいのししのパフォーマンスを見せてくれる「いのしし村」なるものがあるそうだ。
私は木に登る代わりにアナウンサーになった。
幼稚園、小学校、私の人生暗かった。いつも一人だった。幼稚園には市バスで通っていたが、週3回は途中下車してUターン。「幼稚園お休みだった」と大真面目に報告しては、どやされた。
小学校でも孤独。ランドセルは隠される、展示物は破られるの毎日が苦痛だった。通知表には決まって「もっと積極的に。大きな声で」とあったが、それができればいじめられない。
転機は3年生の2学期の国語の時間に訪れた。「明日の授業は詩の朗読です。録音するから一生懸命練習してきなさい」タイトルは「心に太陽をもて」今も教科書に載っているらしい。
担任の言葉は、「これは君が変われるチャンスになる」というメッセージのように聞こえた。その夜、夕飯もそこそこに練習。自分でもびっくりするほど大きな声で何度も何度も読んだ。
翌日、私の番。「ココロニタイヨーヲモテ!」最初の一行で声が出せた。後は勢いだ。無事読み終えた。と同時に先生は私の元へ駆け寄り、抱きしめてくれたのである。
大きなおなかと「できるやないかあ」の声のなんと心地よかったことか。
あの時、私はアナウンサーになりたいと思った。もっと褒めてもらえるかもしれないという単純な理由だが、その後の私の大きな力になり続けた。
褒められることは、認められること。うれしいのは子どもだけではない。頑張る力の源だ。あれから40年。相変わらず褒められたくて頑張っている。